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ロシア国民楽派でロシア5人組のひとりアレクサンドル・ボロディンの生涯・代表曲
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アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディンの生涯 |
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アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(Alexander Porfir'evich Borodin)
グルジアの皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリの非嫡出子としてサンクトペテルブルクで生まれたアレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(1833年11月12日 - 1887年2月27日)は、化学者兼医者でありながら、バラキレフに師事し、ロシア国民楽派でロシア5人組のひとりとなったロシア人作曲家。
化学を専攻し、軍医として働いていたボロディンですが、作曲に興味を覚え、バラキレフに師事します。
1869年ボロディンは、歌劇「イーゴリ公」に着手し、交響詩「中央アジアの草原にて」を1880年に発表。
なお、両作品とも東洋的色彩に溢れています。
また、歌劇「イーゴリ公」は、激務のためボロディンの手で完成することは出来ませんでしたが、ボロディンの没後にニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフらの手により完成しました。
ボロディンは、この他に2つの交響曲や弦楽四重奏曲(特に、第2番は「夜想曲」で有名)、ピアノ曲、合唱曲、歌曲などを作曲していますが、他の作曲家のように多くの曲を書き上げたわけではなかったため、自身を「日曜作曲家」と呼んでいました。
1887年に急死したボロディンの亡骸は、「ロシア5人組」の同人ムソルグスキーが眠るサンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に埋葬され、その後亡くなる「ロシア5人組」の他の同人たちも、ボロディンと同じ墓地に埋葬されています。
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アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディンの代表曲 |
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▼歌曲(オペラ)
・「勇者たち
・「イーゴリ公」
▼弦楽四重奏曲
・「弦楽四重奏曲第1番イ長調」
・「弦楽四重奏曲第2番ニ長調」
・「スペイン風セレナード ニ短調」
・「スケルツォ ニ長調」
▼交響曲
・「交響曲第1番変ホ長調」
・「交響曲第2番ロ短調」
▼交響詩
・「中央アジアの草原にて」
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