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ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Handel)
テレマン、バッハとともに3大巨匠と称されたゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(1685年2月23日 - 1759年4月14日)は、医者の父と牧師の母の子として、中部ドイツのハレの町で生まれ、やがてイギリスに帰化し、バロック音楽を集大成したバロック時代(または前古典派)最大の作曲家。
なお、ヘンデルとバッハは同じ年の生まれであり、ヘンデルが生まれたハレの町とバッハの故郷アイゼナハとは100キロほどしか離れていませんでしたが、終生対面することはありませんでした。
バッハ家が代々音楽家であったのに対してヘンデルの父は医者でしたが、ヘンデルは父の反対を押して音楽の道を歩み、1692年ヘンデル7歳の時、父と共に訪れた宮廷でザクセン公に音楽の才能を認められ、正式な音楽教育を受けるようになります。
ヘンデルは、ハレのルーテル派教会オルガン奏者フリードリッヒ・ツァハウのもとでオルガンを学び、1702年17歳で大聖堂のオルガニストとなります。
更にヘンデルは、1704年19歳の時、ドイツのハンブルグに渡り、当時上演中であったオペラ「クレオパトラ」のドイツ人作曲家ヨハン・マッテゾン(1681-1767)と親交を結ぶと共に、最初のオペラ「アルミラ」を発表。
1707年22歳の時ヘンデルは、イタリアに渡り、滞在期間3年間のうちに、オペラやカンタータ、オラトリオなどを学び、オルガン、チェンバロ奏者として活躍。
ヘンデルは、イタリア滞在中にアルカンジェロ・コレッリ(又はコレルリ)とのヴァイオリン競演や同い年のドメニコ・スカルラッティ(アレッサンドロ・スカルラッティの子)とのオルガンとチェンバロの競演をしています。
また、ヘンデルは、アレッサンドロ・スカルラッティから多大な影響も受けました。
1710年25歳になるとヘンデルは、ハノーヴァー候の宮廷楽長に任命されドイツに戻ります。
同年、ヘンデルは休暇で行ったイギリスで大歓迎を受け、翌1711年(26歳)にはオペラ「リナルド」を発表し大成功を収め、再びドイツに戻ります。
しかし、活躍の場が少ないドイツに比べイギリスでの人気が忘れられず、ヘンデルは1712年(27歳)、宮廷楽長の地位はそのままに、再び戻ることを約束し再度イギリスに渡りますが、そのまま定住してしまいます。
なおヘンデルは、1726年(41歳)にはイギリスに帰化し、ジョージ・フレデリック・ハンデルと呼ばれ大作曲家としての名声を得ました。
1712年(27歳)ロンドンに入ったヘンデルは、オペラ「忠実は羊飼い」を発表し、翌1713年(28歳)ユトレヒト戦勝記念公式行事用の「ユトレヒト・テ・デウム」を作曲すると共にアン女王誕生祝曲を作曲したことにより、アン女王から200ポンドの年金を受け取っています。
しかし、1714年イギリスのアン女王の死去に伴い、ハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることとなったため、ヘンデルは不安な日々を過ごしますが、やがて和解。
なお、この和解に際しては、王のテムズ川の舟遊びの際に同行したヘンデルは、「水上の音楽」を演奏して王の信頼を回復し和解したという逸話がありますが、今日では疑問視されています。
その後ヘンデルは、精力的に、1718年シーラ、1720年ラダミスト、1721年フロリダンテ、1723年オットーネ、1724年ジュリアス・シーザー、1724年タメルラーノ、1738年クセルクセスなどのオペラを書き上げ、イギリスにおけるイタリア・オペラを確立します。
ところがヘンデルの尽力も束の間、1720年代末までにはヘンデルのイタリア・オペラは下火になり、オペラ「乞食オペラ」の成功により、イギリスのバラード・オペラが盛況を得るようになります。
そのため、ヘンデルの作風はオペラからオラトリアに移りますが、1751年頃から視力が弱くなり、失明する1753年前年まで作曲しています。
その間ヘンデルは、1720年エステル、1738年ソール(又はサウル)、1739年エジプトのイスラエル人、1741年メサイア(救世主)、1743年サムソン、1746年ユーダス=マカベウス(マカベウスのユダ)、1449年ソロモン、1752年エフタ(ヘンデル最後の作品)などのオラトリアを書き上げています。
また、ヘンデルの代表曲として最も有名なメサイア(救世主)は、ダブリンの初演で大成功を収めました。
器楽曲である、1717年水上の音楽、1749年王宮の花火などの組曲もヘンデルの代表曲です。
バッハが教会音楽で活躍したのに対し、ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルは単旋律的で力強い作風で、オペラやオラトリオなど世俗の劇的な作品で本領を発揮しました。
生涯独身だったヘンデルは、1759年74歳で亡くなり、生前の功績により、ウェストミンスター寺院に埋葬されました。
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