グスタフ・マーラーの生涯・作風・代表曲<クラシック音楽の有名作曲家・音楽家一覧<初めてのクラシック音楽

名指揮者で交響曲作家として有名な後期ロマン派グスタフ・マーラーの生涯


コンテンツ
HOME
クラシック音楽史
作曲家一覧
クラシック音楽用語
相互リンク集
お役立ちリンク集
プロフィール
相互リンク依頼
お問い合わせ

[PR]
8月中のみ
無料プレゼント

↑↑↑↑↑↑
駆け込み申込者続出


グスタフ・マーラーの生涯

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)

オーストリア領ボヘミア(現在のチェコ共和国)のカリシュト村で、父ベルンハルト・マーラーと母マリー・ヘルマンの12子の2番目の子として生まれたグスタフ・マーラー(1860年7月7日 - 1911年5月18日)は、ブルックナーとベートーヴェンを尊敬し、後期ロマン派においてウィーンで活躍した作曲家兼指揮者。

幼少の頃から音楽の才能に溢れたマーラーは、1875年ウィーン音楽院に入学すると指揮者としての才能も現します。

なお、ウィーン音楽院でブルックナーの講義を聴いたマーラーは、ブルックナーを師と仰ぎ、二人の交流が始まりました。

音楽院を卒業したマーラーは、1880年ハルの音楽監督、1883年カッセル王立劇場の第2指揮者、1885年プラハのドイツ劇場の第2指揮者になります。

その後もマーラーは、1886年(26歳)ライプツィヒ市立劇場の第2指揮者、1888年ブダペスト王立歌劇場の音楽監督になり、この間に「交響曲第1番ニ長調(巨人)」を作曲しました。

1891年マーラーは、ハンブルク市立歌劇場の指揮者に任命され、指揮者として成功したマーラーは、1893年「交響曲第2番ハ短調(復活)」を、1896年「交響曲第3番ニ短調」を発表。

そしてマーラーは、1898年ついに38歳でウィーン・フィルハーモニーの指揮者となりました。

1900年にマーラーは「交響曲第4番ト長調」を作曲し、1902年に画家の娘アルマ・マリア・シントラーと結婚。
そしてマーラーは、二人の女の子を授かるが、二人とも早く亡くなってしまったことを悲しみ「亡き子をしのぶ歌」を作曲します。

1907年アメリカのメトロポリタン歌劇場に招かれたマーラーは、2楽季にわたって指揮し、同年「交響曲第8番変ホ長調(千人の交響曲)」を、翌1908年「大地の歌」を作曲しました。

1909年マーラーは、ニューヨーク・フィルハーモニック教会の指揮者となりますが、教会の女性理事と折り合いが合わず不興を買ってしまいます。

1911年、敗血症によりアメリカから戻ったマーラーは、病が回復せず5月18日51歳の生涯を閉じ、ウィーン郊外の愛する二女が眠る傍らに埋葬されました。

グスタフ・マーラーの代表曲

交響曲
・「第1番 ニ長調(巨人)」
・「第2番 ハ短調(復活)」(ソプラノ、コントラルトの独唱と合唱付)
・「第3番 ニ短調」(コントラルトの独唱、少年合唱、女性合唱付)
・「第4番 ト長調」(ソプラノ独唱付)
・「第5番 嬰ハ短調」
・「第6番 イ短調(悲劇的)」
・「第7番 ホ短調(夜の歌)」
・「第8番 変ホ長調(千人の交響曲)」(四声部独唱、混声合唱、少年合唱付)
・「第9番 ニ長調」
・「大地の歌 イ短調」(独唱付6連曲)

歌曲集
・「さすらう若人の歌」
・「亡き子をしのぶ歌」

▲上に戻る

相互リンクについて

当サイトはリンクフリーですが、アダルト・MLMでのリンクはご遠慮ください。


Copyright (C) 2006 初めてのクラシック音楽 , All rights reserved.