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ロシア5人組の中で最も民族的な曲を書いたムソルグスキーの生涯・作風・代表曲


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モデスト・ピョートロヴィッチ・ムソルグスキーの生涯

モデスト・ピョートロヴィッチ・ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky)

プスコフ州カレヴォの富裕な地主の子として生まれたモデスト・ピョートロヴィッチ・ムソルグスキー(1839年3月21日 - 1881年3月28日)は、ロシア5人組の中で最も民族色の強い独創的な作品を書いたロシア国民楽派の作曲家。

幼い頃から母親にピアノを学んでいたムソルグスキーは、念願の軍人となるが、軍医であったボロディンと知り合い、バラキレフの門人となります。

その後、バラキレフから音楽を学んだムソルグスキーは、音楽家となるため1858年軍務を退役。

そしてムソルグスキーは、1867年交響詩「禿山の一夜」を書き上げますが、バラキレフの批判にあい、初演されたのはムソルグスキーの死後1886年になってからでした。

また、1874年マリンスキー劇場で初演されたムソルグスキー作のオペラ「ボリス・ゴドノフ」は、聴衆から喝采を得、作曲家として成功を収めます。

その後も作曲活動を続けたムソルグスキーですが、以前からのアルコール中毒や友人の死などにより生活が乱れていきました。

1881年ムソルグスキーは、心臓発作のため入院するが、回復することなくこの世を去っています。

なお、ムソルグスキーの亡骸は、サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に埋葬されました。

ムソルグスキーの後に亡くなる「ロシア5人組」の他の同人たちもムソルグスキーと同じ墓地に埋葬されています。

モデスト・ピョートロヴィッチ・ムソルグスキーの作風

ムソルグスキーは、「ロシア五人組」の中で最も個性的で民族色の強い曲を書いています。

歌劇(オペラ)「ボリス・ゴドノフ」、交響詩「禿山の一夜」、ピアノ組曲「展覧会の絵」は特に有名で、「はげ山の一夜」はディズニー映画ファンタジアや映画サタデー・ナイト・フィーバーにも使用されました。

また、「子供部屋」、「日の光もなく」、「死の歌と踊り」は3大歌曲集として有名です。

モデスト・ピョートロヴィッチ・ムソルグスキーの代表曲

歌劇(オペラ)
・「サランボー」
・「ボリス・ゴドノフ
・「ホヴァーンシチナ」
・「ソロチンスクの定期市」
・「アテネのエディプス王」

交響詩
・「はげ山の一夜

ピアノ曲
・「子供の頃の思い出」
・「子供の遊び(スケルツォ)」
・「夢」
・「気まぐれな女」
・組曲「展覧会の絵

歌曲
・「カリストラート」
・「蚤の歌
・歌曲集「子供部屋
・歌曲集「日の光もなく
・歌曲集「死の歌と踊り

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