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リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Straus)
ミュンヘン宮廷歌劇場首席ホルン奏者の子として生まれたリヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(1864年6月11日 - 1949年9月8日)は、交響詩やオペラなど多数作曲した、ドイツ後期ロマン派を継承する新ロマン主義で近代音楽を代表する作曲家兼指揮者
なお、ウィンナワルツで有名なヨハン・シュトラウス父子とは親戚ではなく何の関係もありません。
R.シュトラウスは、幼い頃から音楽の才能に溢れていましたが、ブラームス支持者だった父親から保守的な音楽教育を受けていたため、その作風は古典的なものでした。
そのため、R.シュトラウス18歳の時に作曲した「ホルン協奏曲第一番」は、きわめて古典的なものとなっていました。
ワーグナーの本拠地ミュンヘンに住んでいたR.シュトラウスは、やがてワーグナーの秀でた音楽性に惹かれ、ブラームスの保守的な作風から脱却し、後期ロマン派に見られるような自由奔放な和声法を作曲に取り入れるようになります。
そして、1888年交響詩「ドン・ファン」、1889年交響詩「死と変容」、1890年交響詩「マクベス」を続けて書き上げ、各々その翌年に初演されました。
なお、1889年初演のオペラ「ドン・ファン」は、R.シュトラウスの出世作として最初に成功した作品となりました。
更にR.シュトラウスは、交響詩を1995年から1998年まで立て続けに4作書き上げました。
※参考
1895年「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、1896年「ツァラトゥストラはかく語りき」、1897年「ドン・キホーテ」、1898年「英雄の生涯」
特に、1896年作「ツァラトゥストラはかく語りき」は、映画「2001年宇宙の旅」で使用され有名になりましたので、ご存知の方も多いと思います。
R.シュトラウスは交響詩以外にも、ロマン派時代末期の近代音楽に見られるような革新的な新ロマン主義的作風で、オペラ、交響曲、協奏曲、管弦楽曲、合唱曲、声楽曲、歌曲などを作曲しました。
しかし、R.シュトラウスが1909年に書き上げたオペラ「ばらの騎士」は、今までの革新的な作風から一転して保守的傾向にありました。
しかも、このオペラ「ばらの騎士」は、1910年の初演で大成功を収めたことにより、R.シュトラウスはその後、保守的でありながらも、大胆な和声法を取り入れた曲を書き上げるようになります。
余談ですが、R.シュトラウスは多くのオペラを書き上げましたが、「ばらの騎士」以上に成功を収めた作品を書き上げることは出来ませんでした。
1949年9月8日R.シュトラウスは、ドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェンで85歳の生涯を閉じました。
なお、R.シュトラウスの葬儀は、彼の遺言によりオペラ「ばらの騎士」第三幕の三重唱が演奏されました。
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