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モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)
バスク地方(フランスとスペインとの国境付近)のシブールという漁港で、スイス人の機械技師の父親とバスク人の母親の間に生まれたモーリス・ラヴェル(1875年3月7日 - 1937年12月28日)は、ドビュッシーとは違った技法で音楽を作り上げた印象派作曲家で、バレエ音楽の「ボレロ」や「ダフニスとクロエ」は有名。
またラヴェルは、ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」をオーケストレイトしたことでも知られています。
幼少の頃からピアノを学び、1889年パリ国立音楽院に入学したラヴェルは、作曲をガブリエル・フォーレに、対位法をアンドレ・ジェダルジュ(1856-1926)に師事し、在学中の1893年に「グロテスクなセレナード」を、1895年に「古風なメヌエット」などのピアノ曲を作曲し、一目を置かれました。
ラヴェルは、1898年作の「耳で聞く風景」で作曲家としてのデビューし、1899年には管弦楽曲「シェエラザード」とピアノ曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」がフランス国民音楽協会で演奏されました。
1901年から1905年まで5回もローマ大賞に挑戦したラヴェルですが、一度も大賞を取れなかったことに対して審査の不純が疑われ、パリ国立音楽院院長であったテオドル・テュボアが辞職に追い込まれています。
ローマ大賞に応募しながらもラヴェルは、精力的に作曲を行い、1901年にピアノ曲「水の戯れ」を、1905年にピアノ曲「ソナチネ」とピアノ組曲「鏡」を作曲。
さらにラヴェルは、1908年に「水の精」「絞首台」「スキャルボ」の3曲からなるピアノ曲「夜のガスパール」を完成させています。
その後もラヴェルは、管弦楽曲「スペイン狂詩曲」やバレエ音楽「ダフニスとクロエ」を作曲。
やがて第一次世界大戦が勃発すると、戦争への憎しみと友人や母親の死を悼み、1914年ラヴェルは「クープランの墓」を作曲しました。
1928年ラヴェルは、ピアノによる初のアメリカ演奏旅行を行い、大喝采を浴びて帰国しています。
なお、同年ラヴェルは、バレエ音楽「ボレロ」を作曲しています。
その後、自宅で作曲を続けていたラヴェルですが、1932年パリでタクシーに乗っている時、交通事故で頭部を負傷。
この事故が原因で後遺症が残ったラヴェルは、やがて精神錯乱に陥り、1937年頭部切開手術をするが、その甲斐も無く62歳の生涯を閉じました。
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