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シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saens)
フランスのパリに生まれたシャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、フランスの作曲家兼ピアニスト。
幼い頃からモーツァルトにも劣らないほどの音楽的才能を発揮したサン=サーンスは、僅か2歳でピアノを弾き、3歳で作曲、5歳でオペラスコアをピアノで演奏したといわれています。
7歳から本格的に作曲やピアノを学んだサン=サーンスは、10歳でピアノ演奏会を開催。
1848年13歳のサン=サーンスは、パリ国立音楽院に入学し、16歳で初の交響曲を書いています。
サン=サーンスは1853年から1858年まで、サンメリー教会のオルガニストとなり、1858年には最も格式の高いマドレーヌ教会のオルガニストとなりました。
この間サン=サーンスは、交響曲「第1番変ホ長調」と交響曲「第2番イ短調」を作曲しています。
パリの宗教音楽学校ニーデルメイエのピアノ教授にもなっていたサン=サーンスは、同音楽学校でフォーレやジグー、メッサージェなどを指導しました。
1871年サン=サーンスは、セザール・フランクらと共に「フランス国民音楽協会」を創立し、若い作曲家の育成に尽力し、多くの作曲家を輩出します。
1877年42歳になったサン=サーンスは、長年在職していたマドレーヌ教会を退職し、以後公職に就くことなく作曲や演奏などに専念しました。
サン=サーンスによって1872年に完成した歌劇(オペラ)「サムソンとダリラ」が、1877年にワイマールで上演され好評を得ます。
1881年46歳のサン=サーンスは、アカデミー会員に推薦され、57歳の1892年にはケンブリッジ大学から音楽博士の称号を贈られました。
更に1913年78歳でサン=サーンスは、最高勲章であるグラン・クロワも贈呈されています。
このように晩年、輝かしい功績に恵まれていたサン=サーンスですが、1921年アルジェリア旅行中に86歳の生涯を閉じました。
なおサン=サーンスの葬儀は、その多大な功績に相応しく国葬で執り行われています。
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