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フィンランドの民族的音楽の開祖ジャン・シベリウスの生涯・作風・代表曲


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ジャン・シベリウスの生涯

ジャン・シベリウスまたはヤン・シベリウス(Jean Sibelius)

ジャン・シベリウス(1865年12月8日 - 1957年9月20日)は、北欧の厳しい自然を基調にした民族的な音楽を開拓したフィンランドの大作曲家。
なお、2007年はシベリウス没後50周年のため、各地でシベリウスの演奏会が予定されています。

ヘルシンキ近郊のハメーンリンナで医師の息子として生まれたシベリウスは、1885年ヘルシンキ音楽院で本格的に作曲を学びます。

1891年シベリウスは「クッレルヴォ交響曲」を完成させ、翌1892年の初演では、好評を博しました。

同1892年シベリウスは、アイノ・ヤルネフェルトと結婚。

1900年には交響詩「フィンランディア」が演奏され、大人気となりました。

この「フィンランディア」は、シベリウス作の中で最も有名な曲となっています。

1904年シベリウスは「アイノラ」(妻の名にちなんで命名)をヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーに建て、後半生を過ごします。

1923年交響曲第6番、1924年交響曲第7番、1925年交響詩「タピオラ」を書き上げたシベリウスですが、それ以降、亡くなるまでほとんど作品は発表しませんでした。

その理由として、当時国民的人気が高かったシベリウスは、自己批判精神が強いこともあり、その中で新しい交響曲を書くことにプレッシャーを感じていたためではないかと思われます。

1957年シベリウスは、脳出血のためヤルヴェンパーで91年の生涯を閉じました。
なお、シベリウスの葬儀は、ヘルシンキ大聖堂で国葬が営まれ、棺はアイノラの庭に埋葬されました。

ジャン・シベリウスの作風

シベリウスの初期の作風は、フィンランドの民族的伝統を重んじた力強い曲が多く、晩年の曲は普遍的な広がりと深い思想に基づき、厳しい自然と静寂を醸し出す敏感な音作りとなっています。

ジャン・シベリウスの代表曲

交響曲(全8曲)
最近の研究では、シベリウスは交響曲第8番を完成はさせたものの、その出来に満足しなかったため、手稿の大部分を燃やしてしまったと推測されています。
さらに、交響曲第8番のスケッチが部分的に現存することは分かっていますが、まとまった形での復元は難しいとされています。
・「クッレルヴォ交響曲 ホ短調」 op.7
・「交響曲第1番 ホ短調」 op.39
・「交響曲第2番 ニ長調」 op.43
・「交響曲第3番 ハ長調」 op.52
・「交響曲第4番 イ短調」 op.63
・「交響曲第5番 変ホ長調」 op.82
・「交響曲第6番 ニ短調」 op.104
・「交響曲第7番 ハ長調」 op.105

交響詩
・「エン・サガ」 op.9
・「レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)」 op.22
   「レンミンカイネンとサーリの乙女たち」 op.22-1
   「トゥオネラのレンミンカイネン」 op.22-2
   「トゥオネラの白鳥」 op.22-3
   「レンミンカイネンの帰郷」 op.22-4
・「フィンランディア」 op.26
・「夜の騎行と日の出」 op.55
・「吟遊詩人」 op.64
・「ルオンノタル」 op.70
・「大洋の女神(波の娘)」 op.73
・「タピオラ」 op.112

ピアノ曲
6つの即興曲 op.5
ピアノ・ソナタ ヘ長調 op.12
組曲『キュッリッキ』 op.41
3つのソナチネ op.67
5つの小品(樹の組曲) op.75
「ピヒラヤの花咲く時」「孤独なモミの木」「ポプラ」「白樺」「樅の木」の5曲から成り、「樹の組曲」という愛称は日本シベリウス協会会長の舘野泉によるもの。

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