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バロック音楽三巨匠のひとりゲオルク・フィリップ・テレマンの生涯・作風・代表曲


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ゲオルク・フィリップ・テレマンの生涯

ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann)

ドイツのマクデブルグという町に生まれたゲオルク・フィリップ・テレマン(1681年3月14日-1767年6月25日)は、バッハ、ヘンデルとともにバロック時代3大巨匠の一人として活躍した後期バロック音楽を代表する作曲家。

テレマンは、音楽の初期教育を受け、1693年12歳のときにはオペラを作曲し、神童振りを発揮します。

しかし、テレマンは、法律学を学ぶためライプチッヒ大学に入学しますが、学内で組織したコレギウム・ムジクム楽団での演奏技術の高さから音楽の才能を認められ、音楽の道へと進みました。

その後テレマンは、1704年23歳でプロムニッツ伯爵の宮廷楽長になり、1708年27歳で、アイゼナハ宮廷楽長に就任し、宮廷礼拝堂楽団を組織しました。
なお、この頃テレマンは、バッハと知り合い、バッハの息子エマヌエルの名付け親になっています。

更に、1712年31歳でテレマンは、自由都市フランクフルト・アム・マイン教会の楽長に就任しています。

このように各地で合唱長や楽長に就任したテレマンは、民衆が好むような曲を作曲して、コンサートや出版を行い、人気と名声を獲得しました。

1722年、ライプツィヒの聖トマス教会楽長兼都市音楽監督のクーレマンが亡くなったため、市当局は、その欠員に当時ナンバーワンの活躍をしていたテレマンを希望しましたが断られてしまい、仕方なく知名度の低かったバッハを採用しました。
このエピソードからも、バッハよりテレマンの方に人気があったことがうかがい知れます。
なお、このような経緯で採用されたバッハは、晩年、市当局から不遇の扱いをされることになります。

当時は、同時代の音楽家であるバッハやヘンデルよりも人気の高かったテレマンですが、現在ではバッハやヘンデルの方が、人気が高くなっています。

ゲオルク・フィリップ・テレマンの代表曲

多作曲家であったテレマンは、室内楽、協奏曲、管弦楽、オペラ、受難曲、教会カンタータなど4000曲以上もの曲を残しています。

ターフェル・ムジーク ターフェル・ムジークとは、「食卓の音楽」という意味で、宮廷の宴席や祝典などで演奏された室内楽曲を集めたものです。
全3巻からなり、各々の曲集は、管弦楽組曲、コンチェルト、四重奏曲、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタ、終曲の6曲から構成されています。
1733年に作曲され、楽譜が出版された際は、ドイツ国内はもとより、イギリスやフランスを含むヨーロッパ全土や、ロシアからも予約注文が殺到したそうです。
当時の人気作曲家であるテレマンらしい、分かりやすくて楽しい曲となっています。

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