カール・マリア・フォン・ウェーバーの生涯・作風・代表曲<クラシック音楽の有名作曲家・音楽家一覧<初めてのクラシック音楽

魔弾の射手でドイツロマン派オペラを確立したウェーバーの生涯・作風・代表


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カール・マリア・フォン・ウェーバーの生涯

カール・マリア・フォン・ウェーバー(Carl Maria von Weber)

ドイツ・リューベック近郊のオイティンに生まれたカール・マリア・フォン・ウェーバー(1786年11月18日 - 1826年6月5日)は、初期ロマン派を代表する作曲家であると同時に、ピアニストであり、当時を代表する名指揮者

ウェーバーの父の実兄の娘コンスタンツェは人気作曲家モーツァルトと結婚していたため、ウェーバーの父は実兄にライバル心を燃やし、ウェーバーを優れた音楽家に育てようとします。

そのためウェーバーは、父が結成した巡回歌劇団とともに幼少の頃から各地を転々としながら、その先々で著名な音楽教師に師事しました。

1804年、ウェーバーは18歳のとき、ブレスラウ歌劇場の楽長に就任しますが、2年後にはカールスルーエの管弦楽団の指揮者になります。

1810年(24歳)には、ウェーバー作のオペラ「シルヴァーナ」がフランクフルトで初演されました。
なお、ウェーバーは、そのオペラの主役であったカロリーネ・ブラントと1817年に結婚。

その後もウェーバーは、1811年(25歳)にオペラ「アブ・ハッサン」や「クラリネット協奏曲」を作曲します。

さらにウェーバーは、1813年27歳でプラハ歌劇場の指揮者となり、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』以来、低迷していたオペラの改革に尽力。

1817年(31歳)、ウェーバーはドレスデン歌劇場の音楽監督となり、当時主流であったイタリアオペラに対して、ドイツ・オペラを披露します。

1821年(35歳)には、ベルリンで初演したウェーバーの代表作である歌劇「魔弾の射手」が大反響を呼び、ドイツロマン派オペラを確立しました。

1826年(40歳)、結核を患っていたウェーバーでしたが、ロンドンから招待されたため、英語によるオペラ「オベロン」を作曲し、ロンドンに渡英します。

そして、ウェーバーは自ら指揮棒を振り、ロンドンのコベント・ガーデン歌劇場で初演して大成功を収めました。

しかし、演奏後ウェーバーは心身ともに疲れ、病状が悪化してしまい、同年6月5日、ロンドンで40歳の生涯を閉じます。

遺体はロンドンに葬られましたが、18年後の1844年、ウェーバーの音楽的な遺志をつぐこととなったヴァーグナーの尽力により、ドレスデンに改葬されました。

カール・マリア・フォン・ウェーバーの代表曲

▼オペラ(全9曲)
・「森の娘」
・「ペーター・シュモルとその隣人たち」
・「リューベツァール」
・「シルヴァーナ」
・「アブ・ハッサン」
・「魔弾の射手」・・・ロマン派音楽を開拓し、ドイツ・オペラを確立した曲。
・「3人のピント」
・「オイリアンテ」
・「オベロン」

▼交響曲(全2曲)
・「交響曲第1番 ハ長調」 op.19
・「交響曲第2番 ハ長調」

▼協奏曲
・「ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調」 op.11
・「ピアノ協奏曲 第2番 変ホ長調」 op.32
・「コンチェルトシュテック ヘ短調」 op.79
・「クラリネット協奏曲 第1番 ヘ短調」 op.73
・「クラリネット協奏曲 第2番 変ホ長調」 op.74
・アンダンテとハンガリー風ロンド ハ短調 op.35

▼ピアノ曲
・「ピアノソナタ第1番 ハ長調」 op.24
・「ピアノソナタ第2番 変イ長調」 op.39
・「ピアノソナタ第3番 ニ短調」 op.49
・「ピアノソナタ第4番 ホ短調」op.70
・「6つのフゲッタ」 op.1
・「華麗なるロンド 変ホ長調」 op.62
・「舞踏への勧誘 変ニ長調」 op.65
・「華麗なポラッカ ホ長調」 op72

▼カンタータ
・「最初の調べ」
・「戦いと勝利」
・「歓迎」

▼ミサ曲
・「聖なるミサ 変ホ長調」 op.75a
・「聖なるミサ ト短調(祝典ミサ)」 op.76

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